
lablab.の癒しの植物達



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歩いていると、ふと目に入る木漏れ日。好きなんだよね、すごく。きれいだなあ…って足を止める瞬間がフィルムカメラを始めてからぐんと増えた。
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四季の移ろいをお花や空模様、それから光の入る方角、時間、質感で感じるようになった。自分の心の状態も写真を見ればよく分かる。
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フィルムの高騰は続いているし、廃盤になるものも多くて悲しいけれど、可能な限りずっと続けていきたい。写真が好きなのでもカメラが好きなのでもなく、「心」が好きだからフィルムが好き。
撮ってから写真を見るまでに時間がかかるのも良い。時間がかかる分、撮った瞬間の自分との距離が長くなるから、寛容な心でそのときの気持ちや時間、空気、呼吸を見つめ直せるから。
病気になり、毎日体調不良という身体になってもう8年が経つ。

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「自分を生きられなくて病気になった」
カウンセラーさんが言ってくれた言葉が、ずっと心深くに響いている。
この8年間、20カ所以上の病院や治療施設を巡り、書籍やインターネットの情報を読み漁り、心理学を学び、どうしたら良くなるのかと必死に探してきたけれど、結局、「自分の気持ちを取り戻す」「心の声に耳を傾ける」ことがわたしの大きな道しるべだった。
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幼い頃から感情、言葉、欲求を抑え込んで生きてきた。言いたいことより言うべきことを、したいことより振る舞うべきことを。その場その場の“正解”をいつも探し、その枠に嵌りにいく日々だった。どんなにつらくても苦しくても、家の外に一歩出たら勝手に口角も声のトーンも上がってしまう自分に何度も辟易した。ニコニコ気丈に振る舞う笑顔の奥で「助けて」「気づいて」と必死に叫んでいた。
中学校、高校とそれぞれで「そんなんだったらいつか倒れるよ」と声をかけてくれた先生はいた。でも、頑張るしか方法が分からなかった。その場所でどういうことが求められていて、どういう振る舞いが評価されるのかを察知しては、その理想像を追い求めた。
成績優秀、しっかりしている、頼りになる、それが学生時代の周りの評価だったと思う。必死だった。必死じゃないときがなかった。中学生の頃から「限界」だと感じるようになり、高校、大学はもうとっくに限界を超えていた。窓の外を眺めては「ここから飛び降りたら死ねるかな」とよく思っていた。
何度も泣きながら勉強した。何度も学校に行きたくないと強く思った。ご飯を食べながらボロボロ涙を流した次の日も、やっぱり学校に行って、笑って、平然と振る舞った。もっと弱さを見せられたら良かった…と今は思う。でも、当時はできなかった。“模範生”を演じることを辞められなかった。本当はそんな器量じゃないのに、つま先ギリギリまで背伸びして背伸びして、自分を追いこんで追い込んで。いつも苦しかった。楽になりたかった。
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でも、やっぱり無理をした分、ちゃんと反動は来る。大学生のとき、心身が決壊した。バイト終わりのベンチで号泣したのを皮切りに、一年半毎日毎日嘔吐し続けた。身体はどんどん壊れていくのに、自分でも何が起こっているのか分からず、怠けているだけなんじゃないかと思い、そんな状態でも往復5時間の大学に通い続けた。
休み時間にトイレで吐いて講義を受け、5限が終わる頃には頭が割れそうなくらい痛かった。大教室の空気に耐えられず、植え込みの前で膝を抱えてうずくまり、授業を受けたくない…とひとり静かに涙を流した。覚えなきゃいけないのに頭が回らず全然進まないテスト勉強をなんとかなんとか必死でやり切り、何度も嘔吐しながらレポートを仕上げ、そんな状態でも友達とは笑顔で会話した。
今でも大学時代を思い出すと苦い気持ちになる。とても通えると思えなくて退学しようと思ったけれど、コロナ渦のオンライン授業とゼミの先生に助けられ、なんとか卒業することができた。ほんとうによくやったと思う。
そんな風に自分のことよりも成績、課題、評価、その場の空気、人のこと、見られ方、怒られないこと、嫌われないこと、見捨てられないことなどを圧倒的に優先してきた結果、心身が崩壊した。
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自分のことが優先順位の一番下だったところから、すこしずつ順位を上げられるように長い時間をかけて自分と向き合ってきた。8年経った今は2番手、3番手くらいになっている。1番は難しいけれど、1番になれるときも増えてきた。デフォルトが相手優先、ちゃんとすること、その場の空気優先だから、自分を優先することは勇気もエネルギーも多分に必要だけれど、練習を積み重ねている。
わたしが自分を大切にすることを、わたしが笑顔でいることを、喜んでくれるやさしい人々に支えられ、すこしずつすこしずつ心の声をそのまま行動に移すことができるようになってきた。
しんどいときは休むこと、嫌だと思ったらやらないこと。気持ちと行動がイコールで結ばれていることはとても楽だし、健やかだ。長年、気持ちと行動が相反関係にあったから、気持ちに素直に行動することは強く意識しないと難しい。だけど、素直になれたらいいな、心の声を大切にできたらいいな、と日々思い、意識し、練習している。
結局何が言いたいのか分からない長文になってしまったけれど、自分の気持ちを抑圧していたら、いつか必ず反動が来ること。私の場合、心の声、欲求、感情を取り戻していくことで、すこしずつすこしずつ生きることが楽になったことを書きたかった。こんなに長い文章を最後まで読んでくれたあなたに、やさしい時間が訪れますように。
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散歩してこの辺がこの辺じゃなくなっててびっくりしました。川は埋められてました。
アニメ映画 ジョゼと虎と魚たち、の一角

今年唯一の秋

とても過ごしやすい空間でした!!

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病気になって8年。いろんなことを乗り越えて、やっと「穏やか」を手に入れたと思っていたけれど、苦しい波がまたやってきた。波がある病気だと分かっているし、そんなに調子よく穏やかでいられないだろうなと覚悟もしていたけれど、やっぱり抑うつ思考の世界はとても苦しい。
「消えたい」という言葉が脳に点灯し、自己否定、自責の嵐が渦巻き、自分のすきなことも、自分の価値も失ってしまう毎日。そうじゃない穏やかな世界を知っているからこそ、今はうつの波が来ているだけ、その思考にのまれなくて、取り合わなくて大丈夫だよ、と思うけれど、なかなか難しい。
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きれいな空を見上げて、日々に現れてくれるやさしい光を見て、きっと大丈夫とわずかな酸素を吸い込んで、今日も生きている。
しんどいとき、写真が撮れなくなる。混乱してよく分からなくなってしまう。それでも、過去の写真を見返すと、ちゃんと目の前の光景に心動かされて、目を輝かせていたことがわかるから。ほんのすこし救われる気持ちがある。
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また感動したいな、この世界に。空を見上げるだけで、光を見るだけで、しあわせだ~って溢れてくる歓びを感じたい。きっとそんな日はそばにあるし、ほんとうはこの沈んでいる時間もいろんなことを調整してくれているんだろうな。
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この自分だから、こういう夜を心に持っているから、生まれるもの、描けるものがある、と伝えてくれた人がいる。心の夜はとても苦しいから、その夜を愛するとは言えないけれど、自分の中に夜が在ること、それと共に生きていかなければならないことは分かっている。夜があってよかったとはまだ思えないけれど、夜があるから描けるものがあることは信じている。
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今日も生きて、ここにいる。どんな心の状態でも、準備して、ここに来た。それだけで素晴らしいことだと、言ってあげられたらいいな。
今朝、月曜日にお花見に行った場所を再度訪問、葉桜化が進んでいました。

「桜」と「スズメ」を撮ってみました。


玉串川で少し撮影


玉串川に向かう道中の平野川でのショット


「桜」を見る機会は4月12日(土)がラストチャンスです。
「カワセミ」の観察を続けて撮影した後、後々友人に言われて目の所を拡大してみると、


なんと「ハート型」になっていました!
こういうのは中々無いのではないでしょうか?
自分でもびっくりです。
桜満開のある日、スタッフみんなで近くにお花見に行ってきました。
桜がとても美しかったです。





