心の声を聴く

病気になり、毎日体調不良という身体になってもう8年が経つ。

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「自分を生きられなくて病気になった」

カウンセラーさんが言ってくれた言葉が、ずっと心深くに響いている。

この8年間、20カ所以上の病院や治療施設を巡り、書籍やインターネットの情報を読み漁り、心理学を学び、どうしたら良くなるのかと必死に探してきたけれど、結局、「自分の気持ちを取り戻す」「心の声に耳を傾ける」ことがわたしの大きな道しるべだった。

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幼い頃から感情、言葉、欲求を抑え込んで生きてきた。言いたいことより言うべきことを、したいことより振る舞うべきことを。その場その場の“正解”をいつも探し、その枠に嵌りにいく日々だった。どんなにつらくても苦しくても、家の外に一歩出たら勝手に口角も声のトーンも上がってしまう自分に何度も辟易した。ニコニコ気丈に振る舞う笑顔の奥で「助けて」「気づいて」と必死に叫んでいた。

中学校、高校とそれぞれで「そんなんだったらいつか倒れるよ」と声をかけてくれた先生はいた。でも、頑張るしか方法が分からなかった。その場所でどういうことが求められていて、どういう振る舞いが評価されるのかを察知しては、その理想像を追い求めた。

成績優秀、しっかりしている、頼りになる、それが学生時代の周りの評価だったと思う。必死だった。必死じゃないときがなかった。中学生の頃から「限界」だと感じるようになり、高校、大学はもうとっくに限界を超えていた。窓の外を眺めては「ここから飛び降りたら死ねるかな」とよく思っていた。

何度も泣きながら勉強した。何度も学校に行きたくないと強く思った。ご飯を食べながらボロボロ涙を流した次の日も、やっぱり学校に行って、笑って、平然と振る舞った。もっと弱さを見せられたら良かった…と今は思う。でも、当時はできなかった。“模範生”を演じることを辞められなかった。本当はそんな器量じゃないのに、つま先ギリギリまで背伸びして背伸びして、自分を追いこんで追い込んで。いつも苦しかった。楽になりたかった。

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でも、やっぱり無理をした分、ちゃんと反動は来る。大学生のとき、心身が決壊した。バイト終わりのベンチで号泣したのを皮切りに、一年半毎日毎日嘔吐し続けた。身体はどんどん壊れていくのに、自分でも何が起こっているのか分からず、怠けているだけなんじゃないかと思い、そんな状態でも往復5時間の大学に通い続けた。

休み時間にトイレで吐いて講義を受け、5限が終わる頃には頭が割れそうなくらい痛かった。大教室の空気に耐えられず、植え込みの前で膝を抱えてうずくまり、授業を受けたくない…とひとり静かに涙を流した。覚えなきゃいけないのに頭が回らず全然進まないテスト勉強をなんとかなんとか必死でやり切り、何度も嘔吐しながらレポートを仕上げ、そんな状態でも友達とは笑顔で会話した。

今でも大学時代を思い出すと苦い気持ちになる。とても通えると思えなくて退学しようと思ったけれど、コロナ渦のオンライン授業とゼミの先生に助けられ、なんとか卒業することができた。ほんとうによくやったと思う。

そんな風に自分のことよりも成績、課題、評価、その場の空気、人のこと、見られ方、怒られないこと、嫌われないこと、見捨てられないことなどを圧倒的に優先してきた結果、心身が崩壊した。

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自分のことが優先順位の一番下だったところから、すこしずつ順位を上げられるように長い時間をかけて自分と向き合ってきた。8年経った今は2番手、3番手くらいになっている。1番は難しいけれど、1番になれるときも増えてきた。デフォルトが相手優先、ちゃんとすること、その場の空気優先だから、自分を優先することは勇気もエネルギーも多分に必要だけれど、練習を積み重ねている。

わたしが自分を大切にすることを、わたしが笑顔でいることを、喜んでくれるやさしい人々に支えられ、すこしずつすこしずつ心の声をそのまま行動に移すことができるようになってきた。

しんどいときは休むこと、嫌だと思ったらやらないこと。気持ちと行動がイコールで結ばれていることはとても楽だし、健やかだ。長年、気持ちと行動が相反関係にあったから、気持ちに素直に行動することは強く意識しないと難しい。だけど、素直になれたらいいな、心の声を大切にできたらいいな、と日々思い、意識し、練習している。

結局何が言いたいのか分からない長文になってしまったけれど、自分の気持ちを抑圧していたら、いつか必ず反動が来ること。私の場合、心の声、欲求、感情を取り戻していくことで、すこしずつすこしずつ生きることが楽になったことを書きたかった。こんなに長い文章を最後まで読んでくれたあなたに、やさしい時間が訪れますように。

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