
最近、何人かの友人と電話をした。どれもとても豊かな時間だった。
電話っていいなあと思う。
今は体調が冬なので一歩も外に出たくないし、着替えて、メイクして…なんてエネルギーはほとほとない。でも、家にいてパジャマのままですっぴんでも深い対話はできる。文面だと温度感が分からなくて不安になるし、対面だと表情が見えるから相手の反応を見てしんどい気持ちを誤魔化したり、平気なフリをしてしまう。電話は表情が見えないけど、声でいろんなものが伝わってくるし、「聴く」「話す」に全集中するから気持ちをこぼしやすいのかもしれない。

わたしの生活の専攻科目は病気なので、考えていることも悩んでいることも、時間を割いていることも病気になる。○○に行った、〇〇をした、〇〇と会った、そういうことなら話しやすいけれど、身体のつらい感覚やこういう思考が苦しい、日常生活の大変さ、キツさ、のような話はしづらい。こんなの聞いてもしんどいかな…、きっと伝わらないだろうなあ…、こういう風に受け取られて誤解されたらいやだなあ…、とか色々考えて、聴くことに徹して、自分の話はあまりしないことが多かった。
でも、最近やっぱり伝えなきゃ分からないよなあと思い、「分かってほしい」ではなく「知ってもらえたらうれしいな」「こういう風に生きている人もいるんだ~」というサンプル紹介、事例紹介のようなテンション感で自分がどういう辛さを抱えているのか、生活の具合や考えていることなどを友達にフラットに伝えられるようになってきた。

ん~どうなんだろう、きっと理解するのはむずかしいし、どれくらい伝わっているのかな…、なんて不安や迷いを抱えながら、理解されなくても、ここにいる。そうやって生きているという存在証明のような、ないことにはしたくない。きっと伝えること、この瞬間話すことに意味があるはず。という想いで、心にあることを声に出して言葉をつなぐ。
「話してくれてありがとう」「話してくれてうれしかった」「もっとあなたのことを知りたい」
迷いながら悩みながら話したあとに、そんな言葉を伝えてくれたら泣いてしまう。きっとそんな言葉をかけてくれる人たちだから、話したいと思えるんだろうなあ。過去に傷ついたことは確かにあるけれど、今わたしの周りにいてくれる人たちはそうじゃない。もっと人のやさしさやあたたかさを信じたいな。

話を聴くのもたのしいけれど、胸の内を話してそれを受け止めてもらえることの癒しは深い。お互いにとって安心や喜び、癒しになるような対話をしたい。話す喜びを教えてくれたひとりひとりに心から感謝。
